御祭神と御由緒
御 祭 神
伊邪那岐命(いざなぎのみこと)
天照皇大御神(あまてらすすめおおみかみ)
御 由 緒
創建は不詳であるが、社記によれば保元2年・永禄元年・寛文5年・明治7年に社殿再建の記録がある。
御祭神の勧請年代も不詳であるが、往古より本地に鎮座し、神号を「日之宮」と称した。明治2年7月に「日々神社」と改称し、明治6年11月に国幣中社寒川神社の付属社に列せられ、同年12月に社格を村社に列格される。
年間祭典のうち祈年祭・新嘗祭・例祭を大祭とし寒川神社より奉幣の式があった。
伊邪那岐命、天照皇大御神を御祭神として仰ぎ奉り、国家安寧・開運・厄除・安産の神様として広く氏子崇敬者の信仰を集めております。
瀧降りの神事
当社より距離五町余り、当社旧蹟である本村字水場ケ谷神澤瀧に渡御の神事がある。
この瀑布の水底より神鏡一面が出現し、この神鏡を天照皇大御神の神璽として、日之宮の相殿に鎮祭した。
以後、この瀧を 鏡の瀧 と称し、地名を神澤と号した。また旱魃の時にはこの瀑布を浚い御饌御酒を供し、祈雨の祭祀を執行する慣らいがある。
社 記 に み る 歴 史
年 号 | 内 容 |
---|---|
保元2年 (1157) | 社殿再建 |
保元2年 (1157) | 淤能碁呂松(源頼朝10歳お手植え) |
永禄元年 (1558) | 社殿再建 |
寛文5年 (1665) | 社殿再建 |
明治2年 (1869) | 住職が復職し神職を拝命 |
明治2年7月 (1869) | 日之宮より日々神社に改称 |
明治6年11月 (1873) | 国幣中社 寒川神社 付属社 |
明治6年12月 (1873) | 村社 |
明治7年 (1874) | 社殿再建 |
昭和41年9月25日 (1966) | 淤能碁呂松(台風の為古損伐採) |
昭和43年8月30日 (1968) | 日々神社奉祀百年記念大祭斎行 |
昭和43年8月30日 (1968) | 建碑(淤能碁呂松前) |
昭和52年1月 (1977) | 建碑(歴代神職・総代の業績) |
平成30年8月30日 (2018) | 日々神社奉祀百五十年記念大祭斎行 |
平成30年10月1日 (2018) | 御神木「タブノキ」(樹齢約870年)倒木 (台風24号の被害に遭う) |
令和5年4月23日 (2023) | 末社日々稲荷神社遷座祭斎行 |
令和5年5月5日 (2023) | 末社日々稲荷神社遷座奉祝祭斎行 |